4月12〜15日岩手支援報告
2011-04-15


思ったより日が過ぎていました・・・。
でも、一日は長いんですよね。
まだ2週間とは思えない・・・。

12日は3度目の船越へ。
僕は変な話、もう見慣れました(慣れなきゃやってられません)が、この日は前日夜に合流した神奈川のNさんと一緒。
初めてで船越は結構強烈です。
あー。って言ってました。
この日は初めて漁協の組合長とも話せたし、再開した漁協の支所へも行けました。
前に行って、あまり物資が足りてなさそうだったお寺に大量のお米を置いてきました。そこは避難所でもあり、近くの在宅被災者にも分けているようです。

しばらく物資支援を続けてきて、「もらい癖」がつく人達が出てきています。
Nさんの長靴を見て
「これももらえるの?」と聞いてきて、
Nさんが「いや、これは僕のなんで・・・」っていうと、
「なんだよー!」みたいな。

生活クラブの支援も、あくまでも「復興」支援であり、
そのためには引き際を考えなければいけません。
最低限の物資ならば、公的機関を通せばすぐに自衛隊などから物資が供給されるようになりました。避難所ならば間違いなく来ます。
食糧だけでなく、長靴や衣類ももらえます。

しかし、商店などが営業を再開したのならば、そちらに買いに行くのが、商店の人にとっても、その地域にとってもメリットになります。
この見極めがとても難しいところです。

正直、パイプ役の人以外の人たちに被災状況などを聞き出すのはちょっと難しいです。
というか、聞いたところでしてあげられることはありません。
だから、周りの状況(商店が開いたとか、販売車が来るとか、ライフラインがいつ通るとか)を聞いて、それを踏まえて判断していくだけです。


13,14日は高橋徳治商店の機械洗浄でした。
社長のリレーエッセイが、震災の3日前にUPされています。
[URL]

神奈川からの2名と僕の3人で、津波で水没して錆がでてる機械の可動部分を中心に洗いこんでいきます。
水をかけたり、歯ブラシ的な道具でブラッシング、霧吹きを使ったりして洗っていきます。電気と水道が通っていれば高圧洗浄機を使えるのですが、どちらもありません。
っていうか、この地域はもう地盤沈下で、満ち潮になると工場の目の前まで海が来てしまう状況。
電気は通るかもしれないけど、水道は通るのかなぁ?そもそもこの土地をどう扱っていくんだろう?

機械は練り物がこびりついていて、マイナスドライバーなどの金物を使わないと取れない部分も多くあります。
2日目は社長も一緒に作業してもらったため、分解できる部品は社長にやってもらってかなり効率UP。
外にでている計10台程度の機械全てを洗浄できました。
中には材料が機械の中に残っているものもあり、かなり強い臭いもあった。
近くにおいてあったイワシの写真はツイッターにあげてあります。
それを見るとその香りはうかがい知ることができるかも。

両日の昼食時には社長の話を聞かせてもらいました。
解雇した従業員を日雇いして、第二工場の冷凍庫内の魚を撤去する作業をしてもらったとのこと。
あまりの臭いに、10名中2名が卒倒したとのこと。石巻漁港全体がかなり強烈な臭いがあるため、その元になる冷凍庫内の臭いは、それはもう・・・

帰りは神奈川から支援に来た二人と第二工場と石巻漁港を見てきました。
第二工場の大破した姿(これもツイッターにUPしてます)と、
今はさっぱりなくなってしまっている日本一の収量を誇る市場があったところを見ました。

昼食時に社長が、改装したばかりのお風呂や、新しく買ったテレビなどが全部津波でやられてしまったことをお話ししていました。
どう言葉をかけていいかわからず、だまっているしかありませんでした。

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