4月7日〜11日支援報告
2011-04-11


7日は高橋徳治商店のヘドロ出し作業でした。
この日は本丸(魚が腐ってひどい臭いがして、真っ暗な工場内)の作業だということで、心づもりをして行ったら、
結局外に溜まったヘドロを土のうに詰める作業でした。
まぁこれも結構骨が折れる作業ですが、
本丸に比べたらずいぶん楽な作業でした。

でも、手で土嚢に詰めていたら、変な感触のものが。
反射的に手を引いて、よくよくそのものを確認したら、
50cmくらいの魚でした。もちろん、死んでますが。

この日に工場内の機械を出して、これから水洗いをしていく算段。

・・・でしたが、夜にまた余震&小さな津波が来て、
危うくまた機械がやられるところでした。
後日談ですが、津波はそんなにひどくなかったそうです。
でも、またちょっと地盤沈下して、さらに海が近くなったとか。

この日は東京のAさんが帰る日でした。
まとめてくれていた人だったので、これからは僕が頑張らないと。


8日は重茂と船越に物資支援。
僕は学生ボランティアと研究室の先輩でもある職員と3人で船越へ。
4か所の避難所と支援物資引取所に行き、
現状を聞き取りながら物資を降ろしていきました。
一昨日に行った田ノ浜の消防屯所に、
必要だと言っていたお米を届けられてよかった。
生活クラブはちゃんと約束を守ってくれるって、伝わったかな。
あと、学生ボランティアのN君の聞き取り調査ぶりが非常に素晴らしかった。
彼自身、生活クラブに入りたいと言ってくれていて、
どうにか力添えをしたいところです。

重茂はこの日に毛布2000枚と、牛乳450本、お肉も届けました。
船越が終わったあとに行ったときにはもう全部引き取られたあとでしたが、
来る途中で女子中学生が自分が運転する生活クラブトラックを見てにっこり笑っていたのを見て、
あぁ、僕らはちゃんといいことできてるんだな、って思いました。


9日は学生ボランティア二人と埼玉のAさんとお別れ。
学生二人にはたくさんお土産渡しました。
Aさんもさりげにドリップコーヒーを大量に持ち帰った模様。

この日は丸壽阿部商店に行きました。
ここは高台にあるので被害はありませんでしたが、
牡蠣のパック詰めなどの加工をやっている会社なので、
原料がなくなってまったく操業できていない状況。
これからは広島や北海道から取り寄せて、
少しでも仕事をやっていきたいとのことでした。
とにもかくにも、今被災地で必要なものは、仕事です。

あと、首都圏の人には、とにかく経済を回してほしい、とおっしゃっていました。
じゃないと被災地の復興も遅くなってしまう。

だからみんな、自粛なんて言っていてはいけません。
遊びましょう。
飲みましょう。


10日はお休みでした。
じゃじゃ麺を食べて、花巻温泉につかりました。
夜ごはんに前沢牛を食べたかったけど、
どこにも売ってなくてあえなく断念。


11日は神奈川のお二人に朝、お別れをしていきました。
この日は岩手の専務と二人で高橋徳治商店。
いつもは作業ですが、今日は物資輸送です。
会社の集会に合わせていくつもりでしたが、
石巻駅周辺の渋滞&道が余震で悪くなっていてスピードが出せなくて遅くなってしまい、ついたころには解散し始めていました。

それでもいた人みんな喜んで受け取ってもらって、
中には電話をもらって戻ってきた人もいました。
ミニトマトは目の前でみんな食べ始めていました。

どこの被災地も食べ物はあることはありますが、
生鮮野菜は不足しがちです。

帰りに一関の豆腐工場に行ってきました。
ここの工場長のおうちは余震で傾いてしまったそうです。
工場も配管が壊れて、一日出荷ができなかったとのこと。

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