自分の全てを表出するバドミントン
2006-01-16


以前にタイトルのような言葉を出して、それについての説明が不十分だったことに、コメントをいただいて思い出しました。

凄く当たり前のことを書いてしまいますが、
自分の器が小さければ、自分の全てを表出したところで、できるバドミントンはたかが知れています。
逆に、どんなに自分を大きくしたところで、バドミントンに自分の存在をかける気持ちで取組まなければ、バドミントンで自分を表出することができません。

ずいぶん前から考えていることなのですが、
スポーツは凄くできるけど、あとはちゃらんぽらんな人がいます。
凄いパフォーマンスをするけれど、私生活はめちゃくちゃな人は、
おそらく一般に思われているよりもたくさんいるでしょう。
メディアが選手を美化しますからね。
そういう人たちはなぜそこまで強いのか。

当たり前に書いたけれども、「自分の存在をかける」ということが、
その人たちを強くするのではないでしょうか。
自分が自分であることを証明するために一番最適な方法がそれであれば、
それにたいして全てをかけることは非常にわかりやすい話だと思います。

で、自分の話にもってくると、
おいらは器用貧乏タイプの人間です。
どれもちょっとずつ手を出すから、何か一つにたいして本当に自分の全てをかける、ということをしない傾向があると思いました。
逃げ場があるんですよね、いろんなところに。
それがいいという人もいるけれども、おいらは自分の全てをかけている人に魅かれます。

かけていきたいです。


一日に2回もブログを更新することは非常に珍しいことであり、
しかもそれに満足してまた更新を怠ることもよくある話で、
つまりは次も期待せずにお待ちいただければと思います。
[考えること]
[スポーツ]

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